メンデルスゾーンとアンデルセン

著:中野 京子
絵:成瀬修

定価:本体1500円+税
判型・体裁:四六判/224ページ
発行年月:2006年3月
ISBN978-4-378-02841-5
NDC289

内容紹介

人気ソプラノ歌手リンドをめぐり、はからずも恋敵となった、ドイツの作曲家メンデルスゾーンとデンマークの童話作家アンデルセン。その知られざる愛の物語を軸に、彼らがどのように不滅の芸術作品を生みだし、どのように運命と戦ったかを描く。

著者のことば
人生における幸運とは何だろう?
十九世紀の傑出した音楽家メンデルスゾーン――彼の生涯をたどりながら、そのことを考えてみたかった。
メンデルスゾーンについては、たいていの音楽書がこう記している、富豪の名家に生まれ、じゅうぶんな教育のもとで多彩な才能をのびのび開花させ、おだやかな結婚生活をおくり、良き友人たちと交流し、作品は人気を博し、おまけに容姿にもめぐまれて、「彼ほど幸せな音楽家はいなかった」と。
実際には、そう良いことづくめでもない。階級差別や人種差別の激しいこの時代のドイツで、ユダヤ人の彼が差別を受けずにすむわけもなく、ヨーロッパ社会へとけこむ必要から、キリスト教に改宗したり名前をメンデルスゾーン・バルトルディと変えるなど、たいへんな苦労をしている。個人の責任とかかわりないところで差別されるという、根源的な屈辱を受けた人間を、いったい幸せと呼べるものなのか。
また彼は両親のきびしい教育方針によって、古典、語学、歴史、音楽、美術、スポーツ、ダンスにいたるまでつめこまれ、第一級の教養ある紳士になったが、反面、優等生の常として遊ぶことへの罪悪感を植えつけられ、自分のしたいことより周囲の期待にこたえることを優先し、精神的にも肉体的にも疲労をためていった。三十八歳という短すぎる死にも謎が多い。
とはいっても、もしメンデルスゾーンがユダヤ人でなかったなら、そして深い教養の持ち主でなかったなら、さぞかし鼻持ちならないうぬぼれた人間になっていたにちがいない。音楽も、ただ明るく調和のとれた優雅なだけの代物になっていただろう。一見満たされた生活の裏に、深い苦悩と静かな諦念をかかえていたからこそ、古典的でありながらロマンティック、ロマンティックでありながらどこか醒めたまなざし、というメンデルスゾーン作品の複雑な魅力が生まれたのだ。
同じことは、メンデルスゾーンと接点を持つアンデルセンとリンドにもあてはまる。アンデルセンはだれも知るとおり極貧に生まれ育ち、リンドは親の愛をまったく知らなかった女性だが、ともに血のにじむ努力のすえ世界的名声を得た。三人の生き方を見ていると、致命的と思われるような疵をバネに大きくなったのがわかる。まさに不運こそが幸運の鍵であった。
ドイツの作曲家メンデルスゾーン、デンマークの作家アンデルセン、スウェーデンのオペラ歌手リンド。彼らの深いかかわりは――アンデルセンはリンドに求婚し、リンドはメンデルスゾーンを恋し、メンデルスゾーンは……――それぞれの芸術に大きな影響をあたえた。もしメンデルスゾーンがあれほど突然、この世を去ったのでなければ、彼らの関係もまたずいぶん変わっていただろう。運命というのは、なんとふしぎで奥深いものか。

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